安芸の犬 [土佐日本犬]
土佐日本犬の古くは、池川から山を降りて佐川町や須崎市に至る日本犬の流れや、幡多系と称する幡多の犬、は多く大物猟師によって代々飼育保存されてきているが、犬祖先の記録が口伝のため、地犬として現役に使役されている様で、その姿態は、現在の四国犬の祖先に類する形態の犬に見える姿の地犬が多い。
安芸の犬は、野根山界隈に徘徊していたニホンヤマイヌの末裔だつたが、岐阜市の四国犬愛好者が、古城先生に依頼して送犬された那智女ー惠美須荘ー日犬籍82755号は、最初長野県の猟師に譲犬されたが、四国犬の犬質を理解していなく、牛や馬に向かって攻撃するので、と言うわけで返犬してきた貴重な犬だった。その那智女号に交配を依頼され出来た子犬萬里女ー伊吹園ー第46102号は、種返しとして矢頭犬荘に入ったのである。
那智女ー宇治虎―長尚―那智ー陸奥とテジー安芸の犬の血液が流れていた、四国連合の猟能研究会に参加した時、奈半利のホテルで面会した北川村の奥地から出ていた方に黑仁や黒参女を見て、昔、祖父が沢山この様な犬を飼育して狩人をしていた、と懐かしそうに四国犬を見ていたのである。昔、飼育していた村を訪問して見たかったのだが時間的余裕もなく、次回にお尋ねする約束で終つている。続く。
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