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安芸の犬 [土佐日本犬]

 土佐日本犬の古くは、池川から山を降りて佐川町や須崎市に至る日本犬の流れや、幡多系と称する幡多の犬、は多く大物猟師によって代々飼育保存されてきているが、犬祖先の記録が口伝のため、地犬として現役に使役されている様で、その姿態は、現在の四国犬の祖先に類する形態の犬に見える姿の地犬が多い。

 安芸の犬は、野根山界隈に徘徊していたニホンヤマイヌの末裔だつたが、岐阜市の四国犬愛好者が、古城先生に依頼して送犬された那智女ー惠美須荘ー日犬籍82755号は、最初長野県の猟師に譲犬されたが、四国犬の犬質を理解していなく、牛や馬に向かって攻撃するので、と言うわけで返犬してきた貴重な犬だった。その那智女号に交配を依頼され出来た子犬萬里女ー伊吹園ー第46102号は、種返しとして矢頭犬荘に入ったのである。

 那智女ー宇治虎―長尚―那智ー陸奥とテジー安芸の犬の血液が流れていた、四国連合の猟能研究会に参加した時、奈半利のホテルで面会した北川村の奥地から出ていた方に黑仁や黒参女を見て、昔、祖父が沢山この様な犬を飼育して狩人をしていた、と懐かしそうに四国犬を見ていたのである。昔、飼育していた村を訪問して見たかったのだが時間的余裕もなく、次回にお尋ねする約束で終つている。続く。



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ニホンヤマイヌに類する立神逝く [土佐日本犬]

 平成13年8月1日に生誕した呼び名{タツチ}日保登録名ー赤龍女ー矢頭犬荘-13-1545ーは、約17年間実猟四国犬として、また、四国犬の本質を兼ね備えた唯一無二のニホンヤマイヌに類する資質、先に逝った

赤龍姫「呼び名Hanako」と同腹犬で、とても愛しい土佐の狩り犬だった。

 タッチょ安らかに眠って、クラツチの後を三途の岸辺に沿ってトボトボと、後を振り返り乍ら三途の川を登り詰めて、大好きな雲出川の源流、川上さんまで上って逝く実猟四国犬のニホンヤマイヌであつた。

 川上山には、姉犬のハナちゃんも脚を止めて待つているだろう。大洞マタギも、立て続けに最愛の狩り犬二頭を旅立たれ、愛しさが募るばかり、愛犬との別れは、妻との離別よりも辛く悲しい別れとなって小畑川の畔に埋葬す。哀悼の連鎖であつた真夏の日夜であった。

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2019-08-04 [土佐日本犬]

久しく矢頭犬荘 に実猟四国犬の子犬が出産、黒神女を台雌に黒四つ眼とアカ毛の青山若雄を交配して、昔式の実猟四国犬を作出した。
猟能を遺伝する方法として、黒四つめの台雌にごま毛の雄を掛け合わす交配は、昔式の実猟四国犬作り方で、系統繁殖の基本であり、その答えはこれから先の飼育と実猟訓練による飼い方にかかつている。

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子犬たちは [土佐日本犬]

 子犬たちは、順調に成長して闘争ばかりする程になった。
何時もやられ側は妹で、噛まれるところは、耳ばかり、妹もかみつきは首に行く、早、噛みついたら横に振る強い咬み、矢張り中型犬の争い、犬歯も伸びて親方に噛みつく仕草もいつけん前で、成長が進むにつれ大きくなりつつ性格も激しい実猟四国犬になっていく様子、10年ぶりに子犬育てで暑さも忘れてしまう。

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子犬たちは [土佐日本犬]

 日齢45日目になった子犬たちを大山に伴って見た、親と共に林道を走らせて、深山の空気をい一杯嗅がせて初歩訓練をした。親犬がやや遠くに走り抜けて行ったが子犬は、主人の足下から放れず不安と嬉しさを表現していたところ、赤毛の鹿が我が目の前に現れて親犬が追い立ててきた、初めて見る実猟の世界、親が返して来たので安心して後を追った所、沢の中にあるヌタ場に入っての水飲みと泥遊び、早くも実猟体験か?
 その後、自動車に乗ることがとても喜び、希に見る子犬たちである。

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